くぜらしく

本当の自分でいることがみんなのためになる。

#1 くぜの現在地

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初めまして!くぜ(@destruke_red)といいます。

 

みんな誰もがもっている人生のストーリー。

大きなチャレンジを始めた今、区切りが良いので書こうと思います。

 

 

出身は愛知県の東三河

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↑山と川がすぐ近くにあります。川には鯉も泳いでます。

 

愛知県東三河で生まれ育ちました

ど田舎ではないけど、絶対に栄えているとは言えない場所。

近くに山や川といった自然があるところです。

 

 両親はやりたいことを昔からやらせてくれていたし、穏やかで恵まれた家庭に生まれました。

 

当時は、ゲームが欲しいやらアレが欲しいやら、なんでもわがまま言っていた記憶があります。

 

その時は、不自由に感じていたけれど、今思うとすごい自由でした。そのおかげで今こうしてやりたいことも見つかってるし、チャレンジできていると感じています。

 

ゲーマー意識が完全に確立された10代

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一番最初に触ったのは、ファミリーコンピューター

一番最初に遊んだゲームは覚えていません…。

 

一番最初に買ったCDは覚えてる。玉木浩二の「田園」。

缶詰工場が舞台のコーチってドラマの主題歌じゃなかったっけ?

youtu.be

 

物心ついた時から、家にゲームがあって暇があればやってましたね。

ファミコンのゲームってほんと難しかったなって思います。

クリアしたことないゲームばっかり(笑)

 

それでも「ゲームで遊ぶこと」が楽しくて、ずっとやってました。

初めて長時間ぶっ通しで遊んだ記憶があるのが、スーファミで発売されたスーパードンキーコング

 

ちょうど親がいない時だったか、テレビが占領できた日があったんですよ。

 

もう目が痛くて開けれなくなるほどやりましたね!

ゲームをやり続けていたせいか視力は低いです…。

 

中学に入ると時間があれば友達とスマブラやったり、

ワンピースグランドバトルって知ってる方います?

あれもハマりました。

 

学校行かずに、ずっとゲームやってたい!

10代は、ゲーマー意識が完全に確立された時代。

モンハンもやったし、セガサターンドリームキャストとかマイナーなゲーム機以外は持ってました。

 

お年玉とかを全部ゲームに使ってましたもん。

 

もう2度とあの時の自分にはなりたくない大学時代

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20代では自分がこの人生でやることを探していました。

 

 中学生の頃から、洋楽が好きで、なんとなく海外への憧れがありました。

年を重ねるごとに増していきましたが、英語の勉強自体を好きじゃなかったですね。

英語を発音するのが好きでした。(笑)

 

 

www.youtube.com

中学生でAvril LavigneのComplicatedを必死こいて覚えてました。

地味にすごくない?笑

 

大学を決めるとき、特にやりたいこともなかった自分は、英語話せたらカッコいい!と思って外国語学へ行きました。

そして、滑り止めの大学へ入学。ここで一気に、、、

 

解放されてしまったのです。

 

大学1年生の前期は単位を十分にとりましたが、徐々に学校へ行かなくなりました。 電車とバスを3本乗り継ぐ1時間半の通学が辛いという言い分で、名古屋に一人暮らしもさ せてもらいましたが、結局それでもダメ

 

そういう何もできてない状況で陥りやすいのが、楽してお金を稼ぎたいという思考。 ブログとかで商品を紹介して売れたら何パーセントかの収入が入ってくる「アフィリエイ ト」って知っていますか??
そういうお小遣いサイトを作ろうとしたりもしました。

けど結局続かない。稼げない。

 

「自分は何やってんだろう...」と思いながらも、その当時爆発的人気だったモンスターハンター2Gを友達と集まって遊んでいたのが支えでした。

 

一日6時間ぐらいやってたんじゃないかな。 時間を気にせずにみんなで集まって、遊べたことは今でも良い思い出だなと思います。

 

そして、大学を中退してしまいました。

今思うと、この頃が自分の人生で一番辛かったです。

もっと辛い思いをしている人ってたくさんいると思います。

 

自分は恵まれてますが、それでも辛かったです。

もう2度とあの時の自分にはなりたくない。

なぜかというと、当時の自分は次のような人間だったからです。

 

・人の批判をして、優越感に浸る

・夢だけを語り、それらしい行動をしない

・人のせいにする

・やりたいことがなく、なぜ生きているのかわからない

 

書くのも恥ずかしいですが、こんな感じでした。

 

自信への自信を取り戻したゲームの専門学校時代

大学中退後、下宿先から実家に帰ってきて、ニート状態がしばらく続きました。

当時22才です。
これからどうするか決めなければいけない春先。

 

この時、資料請求していたゲーム制作を学べる学校の資料が目にとまりました。

この資料は、大学へ行かずに「何か楽してお金が稼げないかな」とお小遣いサイトを見ていた時、専門学校の資料請求だけで500円をもらえるものを発見し、資料請求していたものでした。

 

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↑ここに行ってました。

 

ゲームの専門学校へ行こう

 

そこから、説明会を予約。

入学試験があるかと思ったらありませんでした。

学費は、親に借りました。

 

ゲームプランナー、プログラマー、グラフィックデザイナーの3つのコースがありましたが、自分はゲームプランナーを目指して入学。

自分だけの世界観を大切にするという個性を持っているだけあって、色々なことを考えるのが好きでした。

 

ぼくのかんがえたさいきょうにおもしろいゲーム

 を作りたかったんです。

 

授業は基礎的なプログラミングから、実際に動くゲーム作りまで。

チームを組んでコンテストに応募もしました。

 

家でゲームをしていても、勉強の一環という口実ができました。

どうしてこのゲームは面白いのか?

このゲームは人間のどの欲求を満たそうとしているのか?

 と考えながら遊ぶようになりました。

 

この専門学校時代で、自分は何が得意なのかということがわかったし、自分への自信を持つことができました。

学期末での学内コンテストで毎年入賞したし、東京ゲームショウでもマチュア部門で入賞。

 

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 ↑壇上の様子。

 

ただ、同じクラスの子が最優秀をもらっていて、この時はめちゃくちゃ悔しかったです。会場内の隅ですごい泣きました。

 

そこから、その悔しさをバネにして頑張ればよかったんですが、悔しいけど、入賞したからとりあえずよかった、みたいな。

一時的な感情に止まってしまいました。

 

元々そのコンテストに提出した作品は、学内で作ったゲームを少し変えただけ。

ゴールも明確じゃなかった。

自分は必死で努力をしていなかったのです。

 

就職活動をする学年になり、みんな履歴書の書き方を学んだり、就職作品を作り始めます。

自分の場合は、ゲームの企画書。入りたい会社は一つだけでした。

 

入りたかった会社は、P◯4を作っているソ◯ー。

 

ソ◯ーといえば、TOP of TOP。

モンスターで言えばSSSランクの強さ。

 

けど、それ以外では個人的に魅力的な会社が日本になかったんです。

海外のゲーム会社にも応募できるなら、もちろんそっちも応募したんだけど、英語で書かなきゃいけないとか、現地に面接しに行かないといけないとか色々考えて、ヤメました。

例えば、ゴッドオブウォーサンタモニカスタジオとか、風の旅人のthatgamecompanyアンチャーテッドとかLastofUsのノーティドッグだったり入りたいですねー!

 

そして、順調にソ◯ーの最終面接まで行きます。

「ソ◯ーで働ける!夢が現実化する!」と思いましたが、最終面接で落ちてしまいまし た。

 

もう記憶も曖昧になってきていますが、面接官に自分のこんな思いを伝えました。

 

「ゲームをクリアした後に、その人の人生に影響を与えることができるゲームを作りたいです。もっとこうなろうとか、その人の人生のプラスになるようなゲームを」

 

今思うと抽象的ですよね。

でも、「モンスターを倒して、素材を倒して、武器作ってヤッター!!!」的なゲームを作りたいわけじゃない。 今までにないゲームをこのソ◯ーでなら作れるんじゃないかと思っていました。

 

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↑卒業旅行で行ったグランドキャニオン。崖のすぐそばで。

 

ソ◯ーに落ちてしまい、他の会社も受けてましたが、

熱量が全然ちがったからか他もダメでした。
そしてここでまた、ある決心をします。

 

洋楽も好き

洋ゲーが好き

洋画、海外ドラマも大好き

 

そんな海外エンタメ大好き君は、「海外に住みたい!」と思ったのです。

 

オーストラリアで生活をして日本のイイところに気づいた

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↑笑顔がみんなイイ!この頃はうまく笑えなかった?

 

お金を貯めて海外に語学留学しようと決めました。

計画としては、2年間。 

1年目は、学生ビザで行って英語を習得。

2年目は、ワーキングホリデーで本格的に働く。

 

実際向こうに行ってみて、どう思ったかというと、、、

 

やっぱり海外楽しい!

街を歩けば、海外ドラマのワンシーンみたいなとこばっか!

もうすでに雰囲気が好きだ!

 

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↑スーパーでピザが300円なのでパーティ中。

 

そう思ったのも1ヶ月。

ホームシックではないけれど、日本の良いところにも気づき始めたのです。

 

▪️日本のイイところ▪️

・飯がうまい

・一人で住めるアパートがある

・なんだかんだ他人の気持ちを考えて言葉を選ぶ

・清潔のレベルが高い

 

これに関しては長くなると思うのでまた別の記事で書きますw

 

オーストラリアで過ごしながら、「もっと日本が盛り上がって、自分の国を誇りに思えると良いな」と思うようになりました。

個人的な意見ですが、あんまりみんな日本を好きじゃないような気がするんですよ。

 

ワールドカップとかイベントの時だけ、日本のファンになって、それ以外は割とどうでもいいでしょう、と。

日本に住んでいるからには、日本人に生まれたからには、日本を好きな日本人として生きていけたら良いなぁって思うんです。 

 

じゃあどう生きれば日本人として生きてるってなるか??

ただ、定義するのってどうかなとも思うんです。

こんなこと書いときながら曖昧な部分もあるし。

 

でも、これだけは強く思います。

それは、、、

 

【これからの目標】

みんなが自分のしたいことを考えて、生きていけるようにするために活動していく。

 

私はコーチングや人材育成の仕事をしていることもあり、周りに敷かれたレールにそって 生きるのではなくて、自分でレールを作って生きてほしいなと思っています。

とりあえず大学行って、働いて、結婚して、子供を産んで、それから色々して死んでいく。これらの過程が悪いとは言いません。

そこにどんな理由を持っているのかを重要視して欲しいんです。

 

みんなが大学行くから大学に行くというのも理由としては間違いでは無いです。

ただその理由が、自分で決めたものなのか、相手に合わせたものなのか

ここが大事です。

 

理由が相手に合わせたものだと、相手がいないと自分の進む方向を決めることができませんよね。

「人と比べて自分はどうか」という風にしか自分を見られなくなってしまうかもしれません。

 

自分で意思を持って生きて欲しいというのが私の希望です。

自分らしく生きよう」を日本や世界の人々に伝えていきたい。

 

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2018/7/22

 

一気に書きましたが、

長い記事を読んでいただきありがとうございました( ◠‿◠ )

何か感じるところがあれば、シェアしてもらえると嬉しいです。