くぜらしく

本当の自分でいることがみんなのためになる。

遺書を書いてみる

今、遺書を書いています。初めての試み。Climbers2021の本田圭佑の話を聞きながら書いています。服装はかなりラフです。特に直近で死ぬ予定はありませんが、少し自分の死について向き合ってみます。こんな遺書、誰が見るのでしょうか。インターネットで公開しているから誰かしらは見るんでしょう。誰に見て欲しいのか。

 

親かな。自分が死ぬ頃には、親はすでに死んでいる。死んでいる人への手紙を書くことになるんですね。それと大切な人へ。

 

いつの日かの遺書

拝啓 〇〇様

今までありがとうございました。だいぶ自分に死が近づいてきました。死んだらどうなるんだろう。そんなことを考えています。少しワクワクもあります。今の世界が具体的な世界だとすれば、死んだ後の世界は抽象的な世界だと想像しています。この2つの世界は交わることはないと思います。なので、さようならということになってしまいます。ワクワクもあり、悲しさも感じます。「生まれる、産まれる」ということがなければ、今の世界には存在できないんですよね、当たり前のことを今ふと思いました。自ら生まれることはできない世界に、産まれて、今まで生きてこれたことに感謝します。

ずっと昔から満足した人生だと思って死にたいと思っていました。あなたからはどう見えていましたか?満足しているように見えましたか?ずっと思っていたのは、日本の国に住んでいて楽しいと思える国にしたいと思っていました。少しは楽しくなったのかな。実感としてはそこまで感じていません。やっぱりこれまでの日本の教育システム、大人の価値観の変化のしづらさを感じてきました。自分らしく、自分の人生を生きよう、そんな言葉が昔よりもずいぶん目にするようになりました。けれど、まだビジネス自分らしくな気がしてなりません。目新しい事をすると、周りが叩き出す。そんな風潮はまだまだあります。これはなくなることはないのでしょうか。こういう感想を持つということは、この人生の中では自分の想いは成し遂げられなかったのかなと思います。

他人を変えようとしない。これを胸に持って生きてきましたが、他人を変えようとして生きてきてしまったのかもしれません。どおりで少し生きづらかったわけです。楽しい人生ではありましたが、他人を最後まで変えようとして生きてしまっていました。日本に住んでいて楽しいと思うかどうかは最終的には自分次第。楽しいと思える人たちともっと繋がっていたかったな。同じ時間を過ごしたかったです。そうすればもっと満足できる生き方ができたと思います。そう考えるとやり残したことがまだまだありますね。死にたくなくなってきました。

子どもたちにこれまで色々なことを伝えてきました。正直、自分が関わった子がどういう人生を送っているのか、くぜからどんなメッセージを受け取ってくれたか気になります。子どもたちのリアルな声をもっと聞きたかったです。

 

もうすぐ私は死にます。また次にこの世界に生まれ落ちる時、またあなたに会えますように。ありがとうございました。死を受け入れて、別の世界に行ってきます。本当にあるのかはわかりませんが。もし何かメッセージを伝えられるようであれば伝えます。何もないのかもしれません。無くなるだけ。あなたも後悔のないように生きてください。

さようなら。

 

遺書を書いてみて気づいたこと

他人を変えることに少し重きを置きすぎて生きてしまうかもしれないところですね。楽しい人とたくさん繋がりたいと思いました。そのためには自分も楽しく生き、面白くならなければいけませんな。どんな人と一緒に過ごすか。今まで以上に考えて生きていこうと思います。

 

なかなかに面白いワークでした。